3月31日『戦争』

悲しい事ですが、ついに戦争は始まってしまいました。何度もコメントしようと思いましたが、正直、コメントのしようのなさに戸惑っていました。怒りと悲しみしか沸いてこないからです。国民の代表と思いこんでる人たちは国民の声なんて、これっぽちも聞き入れていない...。巻き込まれて命を落とす人たちの事なんて何も考えていない。カンボジアのように今でも戦争の傷跡を残した国は世界中にたくさんあるというのに、こうした活動の意味なんてまるでないかのように、また戦争は繰り返される。 一体何がしたいんだか...。そんなに自分が潤いたいなら努力して潤えよ!他人を巻き込むなよ!権力を利用してるだけだと思う。言い出すとキリがないくらいなので、海外の一人の少女の訴えを掲載したいと思います。


米国の13歳の少女

13歳のシャルロット・アルデブロンさん。メーン州の最北部にある人口1万人の町、プレスクアイルに母親ジリアンさん(50)と2人で暮らす。  ジリアンさんが米政府機関でエイズ予防などの仕事をしていた関係で、スイスで生まれた後、アフリカのザイール(現コンゴ)、マリ、中米ハイチと移り住んだ。内戦での国外避難も経験した。昨年2月、通っている中学校で作文コンテストがあった。「米国旗」がテーマだった。布きれの旗は大事にされるのにホームレスは大切にされない。(建国の父)トマス・ジェファーソンはがっかりするでしょう――と書いた。 国語教師は「愛国心のないことを書いた子がいる」と突き放した。男の子が振り返り、ニヤリと笑った。  落ち込む娘を見てジリアンさんはニュースサイトに作文を投稿した。1週間余で5万件ヒットする反響を呼び、読んだ人から平和集会でのスピーチを頼まれる。  アムネスティや子どもの人権問題を扱うサイトなど、シャルロットさんはネットを検索して回った。調べた結果をもとに「私たち、子どもの声が聞こえますか」と訴える作文を書き上げ、ジリアンさんに見てもらった。10月、州都オーガスタ。少女は2千人を前に原稿を読んだ。拍手と歓声に包まれた。抱きついてくる女性もいた。  さらに今年2月15日。地元の小さな教会であった反戦集会でもスピーチに立った。今、彼女のもとには世界中からメールが届く。「アンネ・フランクの日記を思い出しました」インドの男性▽「ありがとう、と言いたい」千葉県の女性……。でも、学校ではほとんど相手にされていない。  開戦後、社会科の教師が「フセインは化学兵器を持つ」と話した。シャルロットさんが「でも、その兵器は米国があげたんです」と言うと、教師は「君は間違っている」と答えた。同級生たちはまたニヤニヤ笑った。 だけど少女はもう、めげない。「世界の人たちが私の話を聞いてくれていることが分かったから。これからも自分の考えをしゃべり続けたい」


シャルロットの反戦スピーチ

「イラクの子どもたちはどうなるの?」 イラク爆撃というと、何を思い浮かべますか。軍服を着たサダム・フセイン、あるいは銃を持つ口ひげの戦士たち、それともアル・ラシッドホテルのロビーの床に「犯罪者」という言葉と一緒に描かれたジョージ・ブッシュ元大統領のモザイクでしょうか。 でも、考えてみて下さい。イラクの2400万人の国民の半分が15歳より下の子どもなんです。1200万人の子どもです。私みたいな。私はもうすぐ13歳になります。だから、私より少し大きいか、もっと小さな子どもたちです。女の子じゃなくて男の子かもしれないし、髪の毛の色も赤毛じゃなくって茶色いかもしれないけれど、とにかく私みたいな子どもたちです。だから、私のことを見て下さい。よく見て下さいね。イラクを攻撃するときに考えなきゃいけないことが分かるはずです。みんなが破壊しようとしているのは、私みたいな子どものことなんです。 もし、運が良かったら、一瞬で死ねるでしょう。91年の2月16日にバグダッドの防空壕(ごう)で「スマート(高性能)」爆弾に殺された300人の子どもみたいに。そこでは、爆風による激しい火で、子どもと母親の影が壁に焼き付けられてしまいました。 そんなに運が良くなければ、じわじわと死んでいくのでしょう。ちょうど今、バグダッドの子ども病院の「死の病棟」で苦しんでいる14歳のアリ・ファイサルみたいに。アリは湾岸戦争のミサイルで劣化ウランによる悪性リンパ腫ができ、がんになったのです。 もしかしたら、痛みにあえぎながら死んでいくかもしれません。寄生虫に大事な臓器を食われた18カ月のムスタファみたいに。信じられないことですが、ムスタファは25ドル程度の薬で完全に治ったかもしれなかったのに、制裁で薬がなかったんです。  死ななかったとしても、外からは見えない心理的な打撃に悩みながら生き続けるかもしれません。91年にイラクが爆撃されたとき、小さな妹たちと一緒にやっと生き延びた恐怖を忘れられないサルマン・ムハンマドみたいに。サルマンのお父さんは家族みんなを同じ部屋で寝させました。そうすれば一緒に生き残れるか、一緒に死ねると思ったからです。サルマンはいまだに空襲警報の悪夢を見るのです。  アリみたいに独りぼっちになるかもしれません。アリは湾岸戦争でお父さんが殺されたとき3歳でした。アリは3年間毎日お父さんの墓を掘り返しました。「大丈夫だよ、お父さん。もう出られるよ。ここにお父さんを閉じこめたやつはいなくなったんだよ」って叫びながら。でもアリ、違うの。そいつらが戻ってきたみたいなんです。  ルアイ・マジェドみたいに何の傷も負わなくてすむかもしれません。ルアイは、湾岸戦争のおかげで学校に行かなくてもよかったし、好きなだけ夜更かしできたと言います。でも、教育が受けられなかった彼は今、路上で新聞を売ってやっとなんとか生きています。  これが自分たちの子どもたちだったらどうしますか。めいだったら? おいだったら? 近所の人だったら? 子どもたちが手足を切られて苦しんで叫んでいるのに、痛みを和らげることも何もできないことを想像してみて下さい。娘が崩壊したビルのがれきの下から叫んでいるのに、手が届かなかったらどうしますか。自分の子どもが、目の前で死ぬ親を見た後、おなかをすかせて独りぼっちで道をさまよっていたらどうしますか。  これは冒険映画でも、空想物語でも、テレビゲームでもありません。これが、イラクの子どもたちの現実なのです。最近、国際的な研究者の一団がイラクに行って、戦争が近づいていることが、向こうの子どもたちにどう影響しているかを調査してきました。  彼らが話した子どもたちの半分が、これ以上何のために生きるのか分からないと語っていました。本当に小さい子どもたちでさえ、戦争のことを知っていて、心配していました。5歳のアセムは「銃や爆弾がいっぱい来て、お空が冷たくなったり熱くなったりして、みんないっぱい焼けちゃうんだよ」と言いました。10歳のアエサルは、ブッシュ大統領に「たくさんのイラクの子どもたちが死にます。それをテレビで見たらきっと後悔する」と知ってほしい、と言っていました。  こちらの小学校のことを話します。私は、人とけんかをしたときには、たたいたり悪口を言ったりするんじゃなくて、「自分がどう思うのか伝えなさい」と教えられました。相手の身になったらどう感じるのか、理解してもらうのです。そうすれば、その人たちはあなたの言うことが分かって、やめるようになります。  いつものように私は、どう感じるか伝えたいと思います。ただし、「私」ではなく、「私たち」として。悪いことが起きるのをどうしようもなくただ待っているイラクの子どもたちとして。何一つ自分たちで決めることはできないのに、その結果はすべて背負わなければならない子どもたちとして。声が小さすぎて、遠すぎて届かない子どもたちとして。  私たちは、明日も生きられるか分からないと考えるとこわいです。  殺されたり、傷つけられたり、将来を盗まれると思うと悔しいです。  いつもそばにいてくれるお父さんとお母さんがほしいだけなんです。  そして、最後に。私たち、何か悪いことをしたでしょうか。わけが分からなくなってるんです。

 

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